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福岡国際マラソンを走ったエチオピア人難民 Ambachew

阿阪 奈美

 1999年12月5日に行われた福岡国際マラソンに、ケニア在住のエチオピア難民、 Ambachew Abate が参加した。おそらく難民として同マラソン大会に参加できたのは、彼が初めてではないだろうか。

 彼はケニアに沢山いるエチオピア難民の一人として、1993年から同国に住んでいる。彼の母国エチオピアでは、社会主義の軍事政権が91年に崩壊し、新政権が誕生したが、彼の父親が前政権の要人だったため、新政権成立後に父親の巻き添えで投獄されてしまった。獄中から助け出され、93年に一人でケニアに脱出し、同国北部のカクマ難民キャンプ(UNHCR管轄)に収容された。しかし、キャンプでの「難民だという理由だけで、人として扱われないような生活」から抜け出し、96年以降はケニア警察の目を気にしながらナイロビのキベラというスラムで暮らしている。

 彼は難民キャンプでの人口調査と食料配給のために、98年8月にたまたまカクマに帰ってきていた。同時期カクマには、日本のわかちあいプロジェクトというNGOからボランテイア活動のために派遣されていた日本人の学生が滞在しており、そこでAMBACHEWと知り合った。母国で高校卒業までずっと陸上選手であった彼は、ケニアに来てからも走ることをやめていなかった。たまたま学生の中に大学で陸上部に所属している人がいたこともあり、彼らはキャンプ周辺を一緒に走ってトレーニングをした。

 日本人の学生が帰国後、日本のNGOわかちあいプロジェクトの代表にAmbachew の話をしたことが、今回の彼のマラソン大会の参加の始まりだった。スポーツ(陸上)という分野で彼を支援できるのではと考え、わかちあいプロジェクトは何ヶ月もかけて UNHCR からの許可やビザ等の問題をクリアし、Ambachew の受け入れ準備を行った。彼は、昨年ケニアのモンバサで行われたフルマラソンに初めて出場し、足の調子が悪く不満足な結果ではあったが2時間22分42秒という成績を残し、福岡出場に必要な記録をクリアしていた。そして11月末、遂に彼の来日&マラソン大会参加が決定した。

 難民であるが故に(=ビザ・資金の問題)、平等にチャンスが与えられずケニア国内はおろか国外の大会に自由に参加できないという状態に、彼はずっとはがゆい思いを感じてきた。しかしそれでも「希望を捨てずに」、コーチもいない中黙々とトレーニングを続けてきた。そんな彼にとって今回の福岡国際マラソンに参加できることは大きなチャンスであった。「難民でも(他の人と同じように)できるのだという事を見てもらいたい」と意気込む彼は、支援してくれる人々の期待を裏切らないように頑張って走った。しかし結果的に、渡航手続き等に時間をとられ練習不足だったこともあり、ゴール手前約2キロの地点でへたりこみ、棄権せざるを得なかった。

 大会終了後、東京で彼と会った時は、レース結果に不満足だったため元気がないように見えたが、日本が非常に気に入ったようであった。お寿司を食べお土産を買い込み、彼は12月9日にケニアに帰国した。わかちあいプロジェクトでは、 2001年春に開催予定の東京国際マラソンに再び彼を参加させてあげたいとも考えているようだ。今回の福岡出場で、彼は色んな国の選手と触れ合い多くの刺激を受けたのではないだろうか。今度来日するまで、まだ希望を捨てず夢をあきらめずにトレーニングに励んで欲しいと思う。



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