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タイ・日本語教育ボランティア・レポート

牧 貴愛

 私は、1999年1月4日から3月1日までの約2ヶ月間、タイへ日本語教育のボランティアとしての派遣の機会を得ることができました。

 まず始めに、この日本語教育のボランティアプログラム「ガマダセ日本語」の発足についてご説明申し上げます。このプログラムは、「国際交流基金」(深沢先生)と「日本語研究会ASA」(小川先生)の協力よるものです。

 国際交流基金では、1994年からこの5年間、毎年20名のタイ人の日本語教師を育成されてきました。その日本語教師の一人が、今回お手伝いをしたスッティラットさんです。ほとんどの育成された日本語教師の方々は、バンコクに近い学校に派遣されたため、バンコクで週1回、国際交流基金で行なわれる日本語力を維持するためのセミナ-が開かれ、それに参加することができるため、日本語力を維持することは難しくはありませんでした。しかし、バンコクより750km(バスで12時間)も離れたブンカーンでは、日本語力を維持することは容易なことではありません。そこで、この日本語教育のボランティア派遣プログラムが発足致しました。

 私は、タイ東北部-「イサーン」-と呼ばれる地方のラオスとの国境-メコン川-に面した小さな田舎町ブンカーンにある、公立高校ブンカーン・スク-ルヘ日本語教師のアシスタントとしてボランティアへ行って参りました。そこの学校は、生徒数約2,000人の中高一貫校です。ブンカーンは、大都市バンコクとはうって変わって大自然に恵まれ人々はのんびりと暮らし子供達は生き生きと育っていました。

 話に聞き、想像していたより、ブンカーンは大きい町でミネラルウォーターや石鹸など何でもありました。現地での生活についていろいろと心配していましたが、問題はありませんでした。特に慣れるのに抵抗があったのはこれといってないのですが、強いてあげるならトイレでしょう。

 では、具体的にどのような活動をしてきたのか?についてご説明申し上げます。

 まず肝心の日本語の授業においては、平日(月~金まで):週9時間、高1(2クラス)と高3(1クラス)の3クラスに入りました。各クラス週3時間ずつ日本語を教えました。授業の前にスッティラットさんと授業計画を立てます。授業中は打ち合わせた様に、あとはアドリブでと言った感じでした。私は、生徒の前に立つといった点では1年間塾のアルバイト講師をしていたという経験が功を奏し、緊張することなく授業に臨めました。詳しい授業内容につきましては、第1回派遣で行かれた方の引継で、ひらがな・カタカナの書き順の確認から入りました。その後、自己紹介の仕方、時制、曜日、数、月、日付、時間割、書道、会話(買い物のしかた)を現地の先生スッティラットさんと一緒に教えてきました。

 又、ブンカーン・スクールに限らず、ブンカーンにある僧侶の学校や工業専門学校へも訪問しました。その時に感じた、生徒の印象と言えば日本人と同じように「恥ずかしがりや」です。生徒に限らず先生もそうでした。しかし授業中、一度なれてしまうと休み時間などにも一緒に話をしたり、放課後はスポーツを通じて言葉の壁にぶつかることなく交流できました。

 学校は、1日7時間授業です。空き時間は自由(フリー)です。しかし、先にも述べましたように、空き時間も生徒が話をしたくて集まってくるので、全くと言っていいほど暇がありませんでした。授業時間外に話をしに来る生徒は日本語を選択できなかった生徒が殆どでした。とても純粋でいい子たちばかりで、生徒のほとんどが、大変、日本語(日本)に興味を持っていました。日本語を勉強して日本で働いてお金を貯めて自分の夢を叶えたいと言う生徒が殆どで、未だに日本は、そういうイメージが強いようです。

 さて、ブンカーンでの日常生活については、校長先生宅にホームステイだったこともあり、生活や、伝統、慣習や、衣、食、住、風景すべてを肌で感じることができました。実際、幸運なことにも僕がお手伝いしていたスッティラットさんの結婚式に参加することができました。

 滞在中に得たことは、タイ語が少し(自分ではかなりいけていたと思いますが謙虚に・・・)話せるようになりました。出発前に少し勉強し、バンコクで3日間集中して語学学校(スライド)で学びました(1日6時間)。当然のごとく全く身に付かずそのままブンカーンへ、しかしブンカーンでタイ語に囲まれて生活していたので1ヶ月ぐらいしたら聞き取れそして少ししゃべることができるようになりました。逆に日本語で簡単な言葉しか話さなかったので、ど忘れが増え、特に熊本弁!!帰国してすぐは口からタイ語ばかりがでてきました。帰り際も空港でタイ人と間違われてしまいました。(笑)それに、タイ料理の授業にも入ることができ「トムヤムクン」が作れるようになりました。

 タイに2ヶ月という短い間でしたが、帰る2、3日前に私が熱をだしてしまったときには、学校中の先生方や生徒達が手厚く看病してくださいましたし、また、いよいよブンカーン最後の日には、学校を上げての壮行会や、校長先生の自宅において盛大なパーティーを催していただきました。先生方や生徒達からたくさんの手作りのプレゼントをもらった時には「僕のためにありがとう」あのときに生徒が泣きながら「また戻ってきてね」と言っていた姿は忘れられません。

 又、ボランティア活動についての考え方も変わりました。今までボランティア活動といえば「自分を犠牲にして」「つらいモノ」という考え・意識が強かったのですが、実際授業でも、又その他の場面でも「自分を犠牲にしている」だとか「つらい」と感じたことはありませんでした。逆に「楽しいな~」「おもしろい!!」と感じました。このように、ボランティア活動は、自分が楽しくないと続かないなーと思いました。

 タイでの2ヶ月間の決してお金では買えない貴重な体験で得た全てのことを、これからの自分に生かし、国際的視野に立った意見やモノの見方が少しでもできればと思います。今回のプログラムでも、又、昨年の夏行われた「JAL Scholarship the 25th Programme」に参加し、アジアの国々のスカラーと議論したときも、私はアジアの国々が今後発展していく上では「人づくり」がまず一番だと考えるようになりました。その「人をつくる」のが教育だと思います。日本語教育にとどまらず、教育全体について今後、深く掘り下げて勉強していきたいと思います。又、機会があればタイ(ブンカーン)に行ってみたいと思います。



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