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青年協力隊が覗いたチリの公務員ワールドGood Governanceへの道

上村 美輪子

 いわゆる「エンパワーメント」を目的とした地域開発は、住民を対象にしたプロジェクトだけでは持続的な効果を期待しにくいものです。エンパワーされた住民の要求を吸い上げ、地域主導の地域開発を促進し続ける地方政治という環境が一方に存在しなければ、そのエンパワーメント効果は時と共に薄くなりがちです。ということで民主主義的手段が及び、かつ良く機能する地方自治体、これは今やエンパワーメント住民プロジェクトの二人三脚のパートナー。

 そこで以前から興味のあった南の公務員ワールド。なぜ「行政」は効果的に改善されないのか?これはイメージとしては理解できてもやはり素朴に疑問の世界でした。しかし協力隊で派遣されたチリでは日々地方政治家と地方公務員の小さな可愛い不正達に振り回され、身を持ってGood Governanceへの前途多難さを学んでくるはめとなりました。

 特に私がいた99年には6年に一度の大統領選があり(それも今回のペルーと同じで2回戦目までやった)、73年のクーデターの張本人、ピノッチェット元陸軍司令官がイギリスで拘留され、さらにチリに突っ返されてきた超当たり年。選挙を前に政治家と公務員達のいやがおうにも日々増長される「小さな可愛い不正」に関しては、本当に面白いものを見せていただきました。ここは私がかいま見た「不正をするのももっともだ」と納得のGood Governanceへの障害達をご報告したいと思います。

 まずはチリと聞いて「南米で唯一選挙による社会主義大統領選出後、クーデターによる軍の独裁政治への移行。その後世界で唯一選挙を通した平和裡のうちの民主主義国家への移行に成功した国」と思いつく方は立派です。早い話がチリはこの73年のクーデターを除けば、実はよく機能する政党政治と民主主義の歴史がお国自慢で、かつ人々は勤勉であり、近隣諸国に比べて不正も汚職も可愛いもんだ、という評判の国です。確かに他の中南米諸国に比べてあれだけ機能する政府があるだけで、有り難いことです。だからこそ、勤勉で社会意識もあるチリの公務員達の不正が最初は私にも不思議でした。実際、私の配属先は貧困層へのプロジェクトに対する無償融資を業務としており、同僚達は学生時代には独裁政権に対し地下活動をしていた元社会主義者など、真摯に貧困問題に取り組む人々が主流でした。

 それではなぜ、社会意識から政党活動を始める程の人が理想と倫理を忘れ不正に鈍感になっていくのか?当たり前だけれど、その答えは一つではありません。もちろんかなり大きいのが個人的利益という動機。でもチリの場合、欲しいのは現金じゃなくて自分の党の繁栄とそれに続く自分の雇用の存続。事実、同僚達は比較的収入も良く多少の臨時収入のために不正を行う必要性ほとんどなく、大方の不正は自分の政党のためのネポティズムでした。

 だから私の知る不正達は本当に可愛いものです。スキャンダルになるほど悪質でなく目をつぶることは出来きるけれど、やはり日常的になるプロジェクトへの阻害要因として見過ごせないといった類のものです。一番一般的なのは、上司が自分が所属する政党の人間や党寄りのコンサルタント会社をプロジェクトに契約しろと部下にごり押ししてくることです。さらには政治家が選挙活動を手伝った党内の無職の若者を集めて名ばかりのコンサルティング会社をつくらせ、公共事業の大きな仕事をかっさらっていった例もあります。しかも彼らが相手だとプロジェクトのモニタリングが意味をなさなくなってきます。というのも相手の仕事にクレームを付けて上司に首を飛ばされるのは自分かもしれないからです。

 そう、チリの公務員の不正の看過の理由はこの「自分の首が飛ばされる」、ここに凝縮されています。そしてチリの特徴は、この不正を見過ごさなければ自分の雇用の確保がほとんど不可能な公務員システムとそれを増長する政治の仕組み、これにつきます。

 まず政治的な要因としては公務員のトップの任命制と、それを複雑にしている連続3代の大統領を送り出している連立与党政権(CONCERTACION)内部での各政党の権力争いがあります。なんといってもチリでは地方政治の首長(群知事まで)も各政府組織の地方支部のトップもこの連立政権による直接任命制です。そしてそれに続くヒラ職員は各職場のトップにより採用決定がなされるため、大統領が変わればゴミ箱まで変わると言われるほど末端の人事までが大統領・連立政権の影響を受けるわけです。私の配属先でも所長が全ての部下の人事権を握っており、職員にとって所長との関係は何よりも重要でした。

 さらにこのやくざな公務員業界での人事は連立政権内での各党の力関係も反映しています。各党は比例代表制の議会の議席数のごとく、各政府組織にそれぞれの党に割り当てられた「机」を持っています。つまり一番有力な政党は一番多くの公務員を送り込めるのです。従って公務員にとって自分の出世の可能性も発言力も全ては、連立政権内の勢力地図における自分の所属する政党の位置次第と言っても過言ではありません。例えば私の配属先でもキリスト教民主党の前大統領の時代には、その党員が幅を利かせていましたが、現大統領は社会党なため大統領交代後には栄枯盛衰さながらな人間模様が繰り広げられました。チリは外から見れば18年続く安定連立政権と写りますが、実はその連立政権内部では常にそれぞれの政党間での権力抗争があり、それが公務員の職場での力関係にももろに影響しています。こうして公務員達にとっての政党活動は思想を越えた利益活動となっていく訳です。

 加えて、効率と競争を最優先する新自由主義経済の中で現れてきた労働の非規則化・雇用形態の不安定さもこのネポティズムを増長する要因です。公務員達も構造調整プログラムが残した「小さい政府」志向の影響でその約90%が一年ごとの契約職員です。基本的社会保険が無いのに加え、通達期間1ヶ月で所長の指一本で退職させられることも可能です(しかしこの所長自身も契約公務員)。大方の政府組織で働く職員はこういった状況で団結権もなく、コネだけを頼りに生き抜いていかなければならなりません。確かに一生安泰の休まず働かずの公務員制度の弊害もありますが、契約公務員制度にも弊害はあります。ここで問題にしている不正の看過の誘発という弊害以外にも、近視眼的に今年成果がでることしかせず、本来長いプロセスが必要なエンパワーメントなどは結局おざなりにするという弊害が指摘できます。やはり良い仕事、特に長期的インパクトが必要とされる分野ではまず関係者の雇用のある程度の安定、もしくは次の雇用につながる公正な採点制度が必要なんだと実感しました。話は少しずれましたが、チリではこうして自分の雇用問題に直結する党の権力抗争、これが公務員のネポティズムの増長と看過へとつながっているようです。

 さらにこの不正を許す抜け道だらけの法的技術問題もあります。チリでは例の構造調整プログラムのせいで(おかげで?)早くから公共サービスに市場原理を取り入れた民営化を進められていました。しかし、雇用基準のインディケーターが中途半端に設定されており、雇用が決定が政府組織の腹一つでされることが可能な上に、有効なオンブズマン制度もありません。受益者自身がサービスの質を評価する機会を設けたところ、今度はサービスを提供する民間事業者が受益者に現金をまくという事件まで発覚しました。

 さて平常時でこの騒ぎ。大統領選挙が近づけば当然のように政党活動が仕事上の倫理より優先されます。今回の大統領選での国民の保守派への予想以上の高い投票率は、前政権のこういった政党がらみの不正に嫌気がさした国民の「おしおき投票」だったと言われています。それでもこの保守との大接戦に危機感を感じた連立政権はなりふり構わない選挙活動泥沼戦へと突入。なんと言っても対立保守候補者は政府の人件費削減を選挙公約に大きく掲げ、配属先も風前の灯火。みんな死活問題として必死です。もちろんそれ以外にも主義主張で絶対保守にはゆずれないというのもあったようですが・・・。

 公共投資が選挙での投票の餌として使われるのはそりゃーもう古今東西当たり前。職員へ本部総裁じきじきの「業務より選挙活動を優先しろ」との業務命令までが配属先にも届きました。選挙活動に参加しなかった私も、ここで嫌みを言われたのも今では懐かしい思い出。でも選挙の中で現政府が再選するために自分たちの政治権力を最大限に利用できる仕組みというのも、これでつくづく学ばせてもらいました。それでも同僚達に言わせると保守はお金にものを言わせ、選挙活動員を雇っているからプラマイゼロということらしいのですが…。

 その後連列政権の候補者が無事当選し、安心したイギリスも選挙後すぐにピノチェット議員をチリに戻してきました。保守が勝っていたらピノチェットはイギリスで裁かれることになっていたかも知れないと噂されてもいました。そして大統領選の間は党を越えて仲良く協力し合っていた連立政権内のそれぞれの党の党員達も、選挙終了後は新しい職やポストの配分をめぐり、再び目を覆いたくなるような熾烈な抗争に戻りました。まさに「その共同体に対する献身は、常に利他の心のあらわれであると同時に点火された利己心のあわられを意味する」なんて言葉をほうふつとさせる世界でした。

 しかし地方公務員達でこのレベル。省庁レベルとなったらさぞ壮大なドラマが繰り広げられていることでしょう。それにきっと他の国々ではもっとスケールアップしたドラマがあるのでしょう。しかしたかがネポティズム、されどネポティズム。この程度のネポティズムでも不適任者の採用による公共事業の直接効果の減少に加え、他の公務員達の業務一般への志気を著しくそぐ、また、市民の利益より上司の顔色を重視するといったマイナス影響を生むのです。優秀な人材が公正に採用され、公正な仕事を実現できる環境、そして優秀であり続けるためのインセンティブの存在がGood Governanceには必要です。しかし政治ゲームの駒として公務員の雇用や公共事業の請負が利用されている以上、そのシステムの整備に政治家が乗り気になるはずがありません。外国人である私たちがもう少し疑問を相手国の一般の人々にも政府にも投げかけてもいい分野かもしれません。ただ私たちは自分の国、日本のGood Governanceを追求していくのも忘れないようにしたいものですが・・・。



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