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フィリピン・サンロケダム・ツアー報告記

佐野 淳也

この記事は『朝日新聞』朝刊(徳島県版)7月18~21日に連載されたものを、新聞社の許可を得て掲載しました。


「ダムが脅かす先住民族の村」

 「徳島で国際協力を考える会」(吉田修 顧問)では、今年3月25日~4月1日にフィリピンのダム問題について学ぶツアーを行なった。日本の「国際協力銀行」等の融資により建設が進められているサンロケダム。これに先住民族が激しく反対している。なぜ彼らはダムに反対するのか。日本の私たちが問い直すべきものは何か。ツアーの内容を報告する。

■ 桃源郷の村

 「私たちは代々ここに暮らしてきました。土地は魂です。誰にも渡すことはできません。」今年70才になるパスカル・ポクディンさんが静かに語り始める。田村好さん(木頭村議)が大きく頷き、言葉を返す。「私の村も、同じ思いで30年間ダムと闘いつづけてきました。」 

 ここは先住民族のイバロイの村。アグノ川沿いに佇む集落には、美しい棚田が織りなされている。「どこから来たの?」子どもたちが珍しそうに顔を覗きこむ。約2,200人が暮らすこの村には、小学校や教会もある。「まるで桃源郷みたいだ。」ツアー参加者の玄番隆行さん(木頭村山村留学センター)が思わずつぶやいた。

■ ダムが、村を沈める

 その桃源郷に危機が迫っている。サンロケ多目的ダム建設計画。完成すれば世界で11番目の規模となるこの巨大ダムは、ルソン島を流れるアグノ川に建設が進む。フィリピン工業化を支えるための水力発電がその大きな目的だ。その上流、山岳地帯に暮らすイバロイ民族たちは言う。「ダム建設により、私たちの村は姿を消してしまう」。

 理由はこうだ。ダムは川を堰き止めることから広大な土砂の堆積を起こす。そのため、ダムの多くは数十年で土砂に埋まり役立たずになる。実際には土砂を吸い出す浚渫(しゅんせつ)によりこれを防止するわけだが、堆砂はダムの上流にも発生し徐々に田畑や家屋を飲み込んでいく。そしてパスカル・ポクディンさんの暮らすダルピリップ村は、ダム湖予定地のすぐ上流にあるのだ。

■ 過去の経験は語る

 ダム建設会社は、イバロイの人びとが懸念しているダムによる影響は一切起きない、と断言している。だがアグノ川には1950~60年代にすでに2つの発電用ダムが建設されており、それによって当初予測されたよりも広い土地が堆砂によって耕作不能となった過去の経緯がある。

 そのひとつ、ビンガダムの上流を見に行った。かつてマンゴーの木と水田があった土地が完全に砂地に埋もれていた。1950年に那賀川に完成した長安口ダムの堆砂問題から、ダムの弊害に目覚め細川内ダム建設の反対運動に立ち上がった田村さんは、日本でもフィリピンでも同様のダムによる問題が起きている、と感じずにはいられなかった。

「日本人のお金が、暮らしを奪う」

■ 国際協力銀行

 「フィリピンは発展途上国。でも外国の援助に頼ったムリな開発が、人びとのくらしを犠牲にしてるんです。」ここは先住民族の権利を守る「コルディレラ民族連合」の事務所。事務局長のジョアン・カリングさん(35歳)が身振り手振りで明快に語り始める。フィリピンにとって、日本は最大の援助供与国。現地のニーズに合わない、といった日本の政府開発援助(ODA)の問題はよく指摘されるところだが、いっぽう日本企業の海外進出を支援する目的で出される公的資金の問題はまだよく知られていない。

 「国際協力銀行」。昨年10月に誕生した政府系巨大金融機関。年間約三兆円の運用規模は、世界銀行をもしのぐ。そしてサンロケダムの総事業費11.91億ドル(約1286億円)のうち、実に6割近い約七億ドル(約756億円)がこの国際協力銀行よりの融資だ。

 「日本はサンロケダムへの融資をストップさせるべきだ」。昨年9月に来日し木頭村を訪問したロメオ・ポクディンさん(34歳)は、日本輸出入銀行(現国際協力銀行)の前でこう訴えた。住民の同意を得ないまま進められている開発プロジェクトに、日本から多額のお金が使われていることを日本の市民に知ってほしい。そんなロメオさんの願いに、木頭村の人びとは熱く共感した。「今度は、彼らの村を訪れたい」。村議の田村好さんが、ツアーへの参加を決めた。

■ 日本企業がつくるダム

 「サンロケダムの発電容量は345MW。安定した電力を都市部や工業地帯に供給し、治水や灌漑にも役立ちます」。関西電力の日本人技術者が自信たっぷりに解説する。訪れた建設現場では、すでに住民の立ち退き後のダム本体工事が開始されていた。工事を請け負っているのは現地企業のサンロケパワー社。しかしこの会社、丸紅が42・45%、関西電力が 7・5%出資する"日系企業"である。国内で蓄積された関電のダム技術が、こうしてフィリピンの山河を開発する。すでに事業全体で50%、ダム本体工事部分で17%が終了しているという。

 「建設にはすでに多額の資金がつぎ込まれており、ここで中止すればかえって費用がかかってしまいます。」とフィリピン電力公社の職員は説明する。さらにダム建設に伴う移住者にも充分な補償が行なわれていると述べた。が、その後訪れた再定住地区では、仕事の斡旋など電力公社からの約束がまだ実行していないことがわかった。

■ わたしたちのお金

 サンロケダムに使われる約760億円の融資。実はこれは私たちのお金だ。国際協力銀行の原資は、郵便貯金・簡易保険や国民年金・厚生年金など。「財政投融資」の名のもと国民のお金が海外へ流れることに対して、私たち市民はもっと鋭敏でなければいけない。

「海外の援助に依存せず、環境と調和した住民本位の発展像を探るべき。」ジョアンさんは最後に話をこう結んだ。中央のお金に依存する日本の地方自治体と公共事業の問題が、透けて見えた。

「第二の侵略をしない豊かさを」

■ 「もとの生活に戻りたい」

 「こんな不合理なことがこの世界で許されているなんて…信じられない。」看護婦の篠原弘子さん(徳島で国際協力を考える会)は、ダム建設地から移住した住民の話を聞き、思わず絶句した。コンクリート造りの小さな家が整然と並ぶこの地区には、約200世帯が暮らす。みんな建設のため立ち退かされてきた元村人たちだ。子どもたちは元気に走り回っているが、大人たちはどこか虚ろな表情をしている。仕事がないのだ。

 「フィリピン電力公社は当初、畑の提供や職業訓練の実施、水道・電気代を無料にするなどの約束をしました。その内どれもまだ守られていません。」ディオニシオ・ヴィタレスさん(35歳)が元気のない声で語る。彼には妻と5人の子どもがいる。約束されていたダム建設現場での仕事もなく、移転の際の補償金で家族6人が何とか食いつないでいる。以前いた村では田畑を耕し川で魚を獲り、現金収入がなくとも充分暮らしていくことができた。しかし今は仕事がなく、賭け事に興じ身を持ち崩す人さえいる。

 私たちは、ダムに反対する先住イバロイ民族の人たちの暮らしを思い浮かべた。物質的には貧しくとも、自然と調和し満ち足りた生活を送っていた。「電力公社に騙された。元の生活に戻りたい。」ディオニシオさんの言葉が、胸に強く刺さった。

■ 国境を越える公共事業

 「徳島市民は住民投票で、吉野川可動堰に反対する明確な意思を示しました。日本でもフィリピンでも、公共事業を進める意思決定は住民自身の手で行なうべきです。」 サンロケダム建設地から北に50km。バギオ市の記者会見場で、矢野和友さん(徳島環境と公共事業を考える会・代表)は力一杯訴えた。

 会見場には、フィリピン最大の英字新聞、インクワイラー紙の記者も来ていた。「日本企業はなぜフィリピンまで来てダムを造るのか?」記者の質問に、東京からツアーに参加していた本山央子さん(環境NGO「地球の友ジャパン」職員)が答えた。「不況と環境意識の高まりの中、かつてのような大型公共事業は国内ではやりづらくなっています。そこでまだ環境への配慮がなく住民の声が届きにくい途上国での開発事業に向かっているのです。」

 そうした日本企業の海外進出を、郵便貯金や年金を使って後押ししているのが国際協力銀行だ。

■ 豊さの意味を問う

 サンロケダム問題を訪ねる旅は、実は日本人自身を見つめる旅でもあった。イバロイ民族のリーダー、パスカル・ポクディンさんは元抗日ゲリラのメンバー。彼はサンロケダム建設を日本の"第二の侵略"という。「日本はとても豊かだ。でもそのお金で私たちを再び征服しないでください。」彼の静かな言葉が、ずっと胸から離れない。

 玄番隆行さん(木頭村山村留学センター)はツアーをこう振り返る。「私たちは便利で快適な暮らしを手に入れてきたはずだった。でもフィリピンの山村には私たちが失った豊さがあった。」開発と環境。難しいテーマだが、私たちは人間らしさはお金では買えないことを学んできている。国境を越えてつながりあうことから、これからの新しい生き方が見えてくるに違いない。



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